記憶

ほんじつ言われたこと:

「どうしてつちやを雇ったのか考えてみて」ということ。ひどく狼狽えて、響いて。せっかく拾っていただいたので応えなくては、と思う心。はやく抜け出さなくては、と思う心。がんばれがんばれ!

 

タイトルに、記憶、とかいたのは、お盆にやる展覧会に関係している。

「記憶」について、1ヶ月ちょっとくらい考えていて、ようやくやろうとしていることをなんとか言葉にできた今日。「記憶」というと、「にわとりは3歩歩くと忘れてしまう」という言葉が思い出される。それについてインターネットに書いてあったことによれば、「にわとりは生きる為に必要ないことは覚えない、生活のことにしか関心を示さない」のだとか。生きる為に生きている、というか。

ひとは、すこし違うとおもう。その時に起こった事柄を覚えている以外に、生きるために、そんなに必要ではなさそうな、楽しい、とか、寂しい、とか、そういうことも覚えている。だれとどんなこと話したか、とか、その日どんな服を着ていた、だとか。そういうことを覚えていられらり、思い出せたりすることって、すごく楽しくて幸せだなあっておもった。

写真は、わたしのiPhoneに入っているいちばん最初の(いちばん過去の)写真。

これは、たしか、2014年の春に行った山県市での写真。奥の中村さんが当時制作していた、ゲストハウスを見学させてもらったとき。3月なのにまだまだたくさん雪が積もっていて、山口さんと雪合戦をした。行くといつも連れて行ってくれる伏流水のきれいな川にこの日も行って、川の水を触ったんだけど、手がすぐにかじかんじゃうくらい冷たかったことを覚えてる。

と、こうして思い出したことをつらつら書いていたけれど、1枚の写真を見て思い出すことや覚えていたことって、たくさんある。人の名前も、この周りの風景も、触った水の冷たさも。

 

もうひとつ、「記憶」について、思い出す(というか興味がある)ことは、「ひとは、記憶を、動画で覚えている人と、静止画で覚えている人がいる」ということ。まだ働き始めてすぐのころ、i _ _ _ _さんが言っていたことだった。「男性は動画で覚えているのが多くて、女性は静止画が多いらしい」。本当かどうかは未定だけど。

そう言われて、私はどうやって覚えているんだろうと考えてみると、どうやら「静止画」っぽい。いやしかし、静止画、というよりは、その時に撮った写真がないか頭の中をぐるぐるして、頭の中から写真を見つけると、そこから起こった出来事とかが、たぶんコマ撮りみたいな感じで、遡ったり進んだりして、頭の中に蘇ってくる感じ。

この頭の中に、22年分の出来事やら感情やら思考やら知識が詰まっていて、思い出そうと思えばどこからともなく向こうから記憶がやってくるこの感じ。

すごく面白いなあって、さいきんおもっている。

 

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今日は3年生が授業で宮崎駿のビデオを見たらしい。2年前わたしも見ていて、その中で印象的な言葉は、

「たいせつな事は、だいたい面倒くさい」。

みんなもすごく印象に残ったみたいだった。